相田みつをさん。

名言が有名ですね。私は詳しく知らないのですが。

有名な名言の1つが、

「つまづいたっていいじゃないか、にんげんだもの」

です。

でも、この「にんげんだもの」をいろいろな言葉につけると、なんかそれっぽくなります。

「今日は歯を磨くのを忘れた。にんげんだもの。」

「会社には行きたくない時だってある。にんげんだもの。」

「先日、受験に失敗した。にんげんだもの。」

「うるさいって思わず怒鳴ってしまった。にんげんだもの。」

「どうしようもなく、お金が欲しい。にんげんだもの。」

適当に作りましたけど、何となく名言っぽいですよね?名言じゃないですけど。

先日書いた「マネて学ぶ」って記事じゃないけど、マネをするとそれっぽく聞こえるから不思議です。

マネることは最強ですねw。

先人から学ぶのも、本から学ぶのもすべてマネです。

誰かがうまくいったことを再トレースしてみるってことですから。

今の世界はいきなりオリジナルを創るってなかなか難しいです。また、創ったとしてもそれが、価値を生み出すかどうかはわかりません。まあ、自己満足でいいならそれでもいいんでしょうけどね。

しかし、この世界で生きていくなら、価値創造はやっぱり必要になります。

価値があるからこそ、その価値が他のものと交換できるわけで、それが今の資本主義社会だとお金になります。

結局、お金は生きていくのに必要なわけですから、どうしても価値創造は必要ということです。

一番いいのは、自分の好きな価値を創ってそれがお金になることでしょうね。これだと、経済的には安定していてしかも自分の好きなことやっているわけですから、とてもハッピーです。

次にいいのは、自分の好きなことをやってないけどお金になることか、自分の好きなことをやっているがお金にならないことです。まあ、どちらがよいかは個人次第ですけどね。

一番よくないのは、自分が好きじゃないことをやっていて、お金にならないこと。これって最悪ですよね。

まあ、これはあくまで経済的な価値が高い方がいいって視点からですが、別の視点、たとえばすべてが人生経験なんだから、どんな経験もありがたい。

こう思えるのなら、お金が稼げようが稼げまいが好きなことをやっていようがやっていまいが、あまり関係ないです。

何が言いたいかというと、人の価値感次第で物事の価値は、どうにでも変わるってことです。

最初に言った、「にんげんだもの」を付けると名言っぽくなっていうのは、「にんげんだもの」という言葉が価値がある言葉だとあらかじめ多くの人の中すり込まれているからこそです。

もし、この相田みつをの言葉が名言になっていなかったら、「にんげんだもの」を付けても名言っぽくは聞こえないでしょうから。

道を究めるのには、守破離が王道ですがこれってすべてに当てはまるよなって思いますね。