私達は欲求に基づいて生きてます。

欲求はさまざまです。

・幸せになりたい
・ワクワクしたい
・恋愛をしたい
・仕事で成功したい
・お金持ちになりたい
・遊んで暮らしたい
・何もせずに寝ていたい
・安心したい
・etc

もっとも自分が求めるものをつかもうとして動きます。

ですが、どんなに求めるものをつかむために頑張ってつかんでもそれは、ほんの一瞬です。結局は、つかめません。

ですが、私達には求め続けるのを止めようもなくただただ欲求にしたがって求めて生きるしかありません。まるでそうそれは、プログラミングされたようにも思えます。

パソコンで編集されたビデオはすでに完成されている作品であり、再生するとそのストーリーはすでに記録された通りに再生されます。

それを知らないで見ていると見ている人間にとってはそれは初めての経験となります。

ビデオの登場人物の中には、

「何で俺の人生はこうなんだ。生まれ変わりたい」

こう思う人もいるかもしれません。でも、ビデオを見ている人間からは、「○○の役なんだから、それはそういうものだ」ってわかるので、それは無理だとわかります。

もちろん、ビデオは編集できるので○○の人生を変えることもできますが、そうすると前もって決めておいたストーリー通りではなくなります。

ここでは比喩的にビデオの例をあげましたが、たぶん、私達は二次元のビデオのようなもので、自分の人生を自分では変えようがありません。

ただし、私達は同時にビデオを見ている人間でもあるためにビデオの内容を変える事も可能です。ただし、それは当初決めたストーリーではなくなるので、あえてそれはしないでしょう。

なぜなら、目的はストーリー通りに人生を再生し、それを見る(人生を経験する)ことだからです。

これは直感的に感じたこの世界の成り立ちですので、真実かどうかはわかりませんが私はそう思います。

「人生はなぜ思い通りにならないのか」⇒欲求を満たそうとするエゴとしての自分からはそう見えます

「人生はすべて思い通りに進んでいる」⇒人生のストーリーを決めた高次の自分からはそう見えます