前野隆司さんの著作。
『「死ぬのが怖い」とはどういうことか』がよかった(こちらは図書館で借りたあとに購入した)ので、この本も図書館で借りてみた。
『死ぬのが…』とかぶる部分もあるが、なんか難しくて消化不良。
著者によると心さえも作れるとか。
うーん、いまいち納得ができないけど。
スピリチュアルの世界では、意識は1つであり、意識がこの世界そのものであると説くことがほとんど。
著者はあまりにも科学にとらわれてる気がしないでもない。
科学的な説明は説得力があるが理解できないなら納得感はない。
ただし、ちゃんと著者の考えを理解できたら、納得できて素晴らしいと感じるかもしれない^^。
受動意識仮説は、「正しいが決して認められない」だろうな、と思っています。
受動意識仮説そのものは、個人的には正しいと思っています。この仮説に基づくと、精神疾患の諸症状も意識のハードプロブレムも、合理的な説明がつけやすくなる。人を超えた思考力と機械の自覚を持った人工知性が生まれれば、欲に流されず、人の諸問題を最適解で解決できるかもしれない。
ただ同時に「不都合な真実」でもあります。人間中心主義は崩壊、”無我”観だけを残して従来の死生観や宗教観・哲学は全滅。突き詰めれば個人の責任も問えなくなる。肥大化した自我(自己承認欲求が暴走した事件、最近多いですよね)が幻想にすぎないとなれば、アイデンティティ・クライシスだって起こりうる。
地動説は恒星の往復運動を簡単に説明できたけれど、天動説を唱える教会に迫害され、後に科学的に証明されるまで封殺されてきました。
でも「心の地動説」こと受動意識仮説は、もし証明されればそれどころのインパクトではない。仮説を支える実験結果はいくつもあるけれど、当の実験者が否定材料を探したりする始末。ネットで反論を検索してみても、まともに理詰めで反論できているものは見当たらない、言い換えれば「それでも反論せずにはいられない」。
本気で証明に取りかかるものは少なく、たとえ証明されても認めようとはしない。
たとえ理にはかなっていても、情がそれを認めない。
そんな「科学界最大のタブー」になるような気がしています。
コメントありがとうございます
>受動意識仮説そのものは、個人的には正しいと思っています。
私も個人的には正しいと思います。
ただ、受動意識仮説を認めてしまうと今の人間社会は成り立ちません。
ですので、現実的には一部の人にしか受け入れられないでしょうね。
>本気で証明に取りかかるものは少なく、たとえ証明されても認めようとはしない。
>たとえ理にはかなっていても、情がそれを認めない。
>そんな「科学界最大のタブー」になるような気がしています。
はい。
我があり意識が選択していると信じている限り。