私はよくめんどくさいなと思ってしまうことがあります。

・歯を磨くのがめんどくさい。
・トイレに行くのがめんどくさい。
・作業をするのがめんどくさい。
・出かけるのがめんどくさい。
・録りためたビデオを見るのがめんどくさい。
・…

私が経験している世界では、めんどくさいことが山ほどあるんですよね。

だから、めんどくさいことはしたくないので、どうしたら効率化できるかを考えてしまいますw。

先日、友人と話していてこのめんどくさいの源(みなもと)かそれに近いものとして、「不安」というキーワードが出てきました。

私にとって、「めんどくさいことは、不安」ってことです。

どうして、不安につながるのかなと辿っていくと、

めんどうなことは、早く終わらせたいようなことです。

もし、早く終わることならめんどうではないですが、終わらないと嫌な感情を味わい続けることになってしまいます。

そして、嫌な感情を感じると不安になってしまうのです。

だから、不安になりたくなくてそれをめんどくさいという言葉で表現して避けようとしてしまっているみたいです。

この不安は、恐れと言ってもいいと思います。

つまり、めんどくさいことをしたくないのは、恐れを感じたくないってことでもあります。

このように、気づいてしまえば、当たり前のことなのですが、気づかない時は気づかないんです。

でも、どうしたらめんどくさいことを克服できるのでしょうね。

まあ、必ず克服しないといけないこともないかもしれませんが、めんどくさいことを放置してさらにめんどくさいことになるなら、あえてめんどくさいことをした方がいいとも言えますし。

もし、恐れや不安が生じるような行動をしないのであれば、めんどくさいことはしないということになります。これはとても楽です。

ですが、これはちょっと違うかなとも思います。

例えば、自分が心から望んでいる目的や目標があってそれを達成するプロセスの中にめんどくさいことがあったとします。

こういう場合、めんどうだからといって行動しないとすると、目的や目標は達成できません。まあ、達成するまでのプロセスを別のものにして、めんどくさいことをしないで済むという代参案があればいいかもしれません。ですが、別のプロセスでも、めんどうでないことがある可能性はあります。

ですので、むしろめんどうなことを恐れたり不安がる感情を感じてやるぞって、思い切ってチャレンジをしてしまった方がいいようにも思います。

恐れや不安の感情を感じることは、別に悪いことではありません。ただの経験だからです。

それに、このように恐れや不安なことでも、チャレンジした方が、自分の行動の選択肢が広がり、結果的に目的や目標は達成しやすいはずです。

ですが、一方で恐れや不安は、太古から自分を守るためのシグナルにもなっているので、あえて恐れや不安を避けるのも、もちろんありです(ただし、現代では命に危険が及ぶような恐れや不安は少ないです)。

だから、めんどくさい時にめんどうだからやめたってのも、ありです。

ただし、常に「めんどくさいことはやらない」というパターンが、結果としてうまくいかないことが多いのであれば、「めんどくさいことをやる」パターンを選んでみて、どうなるかを検証したほうがいいですね。

私の場合、あるパターンをやり始めるとそれを継続する傾向があります。

これは、自分にとってよい結果を生むのであればいいのですが、逆に悪い結果を生むのであれば、よくはありません。

結局、めんどくさいことはやるにしろやらないにしろ、結果をチェックしながら、試してみるしかないですね。

そして、試してみてうまくいくパターンを継続すれば、成功パターンの流れに乗れるはずです。