なぜ死んではいけないのか?

という記事に対して、ツイッターで

「では、生きる必要がないと考える方にはどう説明したらよろしいでしょうか?」

という質問をいただきました。

質問は、

「死にたい。生きる必要がないから」

という場合に、どうするか?ということでしょうかね。

生きる必要がないとは、「生きる目的」とか「生きがい」とか「生きる意味」がないということですよね。

逆に言えば「生きる目的」とか「生きがい」とか「生きる意味」とか必要性があるなら死にたいとは考えないと思います。

世の中には、いろいろな人がいるし、いろいろな経験ができます。世界は広いです。

ですので、生きる必要性が感じられるものがきっとあると思います。ないと思うなら、それは単に見つけられていないからです。

自分が心から喜びを感じたり、ワクワクすることだったり、寝る間も惜しんで集中できること。そういうものをまずは見つけるために、行動してみてはどうかなと思います。

頭でいろいろ考えて、「私にとって生きる必要があるものは何もない」と決めつけるのではなく、少しでも興味があればやってみることをおすすめしたいです。

そもそも死にたいとか生きる必要性を考えてしまう人は、考え過ぎだったり、真面目だったり、几帳面だったり、完璧主義だったり、何かしらこだわりが強い傾向があるのではないかと思います。

実は私もこだわりが強いほうだし、完璧主義傾向があります。ですので、考えて悩んだり、絶望したり、苦しくて辛くなったりします。

でも、私と同じような経験をしても、考えて悩んだり、絶望したり、苦しくて辛い思いをしない人もいます。

この違いは、価値感、信念、思い込みなどが異なるためです。

自分の価値感、信念、思い込みは普段、意識しないし気づかないことがあります。

ただ、これに気づくと、自分を変えるきっかけになる可能性があります。

これらの回答は、私が考える一般的な回答です。

本来なら、死にたいと考える人は一人一人違うのでその人の思いを感じながら、対応することになると思います。

本に書いてあることや自分の経験は参考になるけど、特効薬ではないですからね。結局は、死にたいと思う人が自分で変わっていくしかないです。

身近にいる人はそういう人に寄り添ってまずは話しを聴くことですね。これは大事です。

ただ、心の問題に特効薬がないです。だからこそ、皆さんご苦労されているのだと思います。

でも、いろいろな経験をすることで人は成長するものです。

死にたいと思うことでさえ、自分を成長させるきっかけにできるはずです。

ここからは余談ですが、

「死にたい」と思う人に対して「何とか死なないで欲しい」。

自然にこう思えてしまいますよね。なぜなのかなと考えると、たぶん、相手の死を自分の死に投影してしまうのでしょう。

自分は死にたくない。だから、「相手にも何とか死なないで欲しい」と思ってしまう。

特に身近な人、家族とか親しい人だとその思いは強くなります。

やはり、人と人は本来、つながっているんだなって感じますね(*^o^*)。