以前、「わかる」とはどういうことか?という記事を書きました。

その時には、

私達は何かに対して「わかる」というレベルまで到達するととても満足感を感じます。

直感的には、「わかる」ということは、そのわかる対象と1つになることのような気がします。

と書きました。

ウォーキングしてる時に、

「わかるとは一体感だ」

という気づきがありました。

「わかる」を言葉で定義しようとしてもなかなかできません。その理由は抽象度が高いためです。

感情を言葉にしようとしても失敗しますがこれと同じです。

「わかる」を表す別の言葉として、

・体得する(十分理解して自分のものにすること。体験によって身につけること)
・腑に落ちる(納得する。腑とは臓腑(はらわた)のことで、腑には心が宿ると言われている)

のような言葉がありますが、これも身体とか心と1つになることのように思います。

つまり、これはわからない対象そのものになることとも言えます。

この根底には、私達が1つの生命として在り、その現れとしてすべての事象が存在しているのだと考えると合点がいきます。

男女は1つになりたいという気持ちになりますが、とことん1つのことを極めたいと思ったり、人に喜んでもらえるようなことをしたいと思ったり、どれもすべて一体感を得たいという思いがあるように思います。