「気づきとは、何か?」

定義はいろいろあるようですね。所詮言葉なので、言葉で説明しようとする意味のとらえ方は多様化してしまいます。

私にとっては、知ること、わかること、探すことなどですね。変化のきっかけとなるものとも、言えます。

気づきがある人は、自分や他人ものごとの変化などに対して、発見があったり、洞察があったり、理解があったりします。つまり柔軟性があります。

その気づきは無限です。

一方、気づきがない人は、自分や他人ものごとの変化などに対して、発見もなく、洞察もなく、理解もありません。つまり硬直しています。

気づきがあると世界は広がりを見せます。多くの観点や価値感から世の中を見渡すことができるので、慣用になり懐が大きく、自分だけでなく他人のことを考えるだけの余裕があります。

気づきがないと、狭い世界で生きることになります。観点が狭くて、価値感が固定化していて、世の中を色眼鏡で見てしまうので、屁理屈が多く懐が狭くて自分のことだけで精一杯で余裕がありません。

この気づきは悟りとは違いますが、悟りに似ている部分があるように思います。

悟りが何なのか定義するのはこれまた難しいですが、

悟りは気づきの延長上にあるもの、気づきが悟りへのきっかけになるのではないでしょうか。

私達は普段、気づくことはあっても気づこうとはしません。ですが、気づこうとすると意識が集中できます。

外側のもの、たとえば他人に気づこうとすること。探究心や警戒心などがあります。

内側のもの、自分に気づこうとすると、不思議な感覚になります。波動が変わります。

たぶん、自分は自分に気づいて欲しかったのではないでしょうか。だから、気づこうとするとわくわく感というか、高揚感があります。